2022年3月20日日曜日

『週刊金曜日』 傍系宮家を皇室に入れるべきか 永田正徳さんより

 『週刊金曜日』 傍系宮家を皇室に入れるべきか 永田正徳さんより

 

気象予報士や漫画家などの女性や30歳代の若者を呼んで幅広い世論を演出した有識者会議21人中の9人が旧宮家の皇室への参入を支持している。彼らは皆伏見宮系統である。

 

戦前の傍系宮家は軍部のロボットとなって戦争を推進した。それを戦後昭和天皇は反省し、昭仁上皇が皇太子だったころ昭仁に感慨深く語り、昭仁も傍系宮家の横暴を苦々しく思っているようだ。

 

天皇在位時の昭仁は美智子がたしなめるほどの激しい口調で「『伏見宮はロボットだった』と昭和天皇は話していた」と昭和史の専門家との懇談で語った。

 

櫻井よしこの「傍系宮家を皇室に参入させよ」という主張は昭仁の意見に反するし、皇室典範増補の規定にも反する。

 

皇室典範増補「皇室ノ降下ニ関スル施行準則」大正9年1920年5月15日によれば「王(天皇から5世より下の世代の男子)は長男の系統の4世までを皇族とし、それ以外の世代は離脱する。」

 

櫻井よしこの主張「戦後日本は初めて外国に占領され、国の形を変えさせられた。日本政府と国民の意思、日本の文化、文明に何ら配慮することもなく、11宮家に突然の皇室離脱を強制した。」

 

伏見宮系統は600年前の崇高(すこう)天皇に遡るから、この規則によれば全員が離脱するが、例外を設け明治維新時の当主伏見宮邦家を起点にその長男の4世までが皇族とされた。したがって、敗戦がなくても伏見宮系の皇族は順次皇籍を離脱していた。竹田恒泰は父恒和が4世に当たるが、竹田家の3男だから皇室に残れない。

 

櫻井よしこは「戦前を取り戻す」と言うが、戦前の準則は無視するというご都合主義である。

 

この準則を決定した皇族会議後の賜餐を伏見宮邦家の孫・伏見宮博恭(ひろやす)ら多くの皇族がボイコットして不満の意を示した。

 

伏見宮邦家の16男閑院宮載仁(ことひと)は陸軍参謀総長になったが、中国大陸の関東軍の独断を止められず、日独伊三国同盟締結の際は、陸軍強硬派の意見を代弁した。

 

伏見宮博恭海軍軍令部総長に就いたが、1930年のロンドン海軍軍縮条約に反対する意見を主張し、昭和天皇に「もう二度と再び会わん」と言わせるほど怒らせた。(『西園寺公と政局』)。海軍は博恭を利用して軍令部権限の拡大を図ったが、昭和天皇は「政治的なことを博恭が上奏することは皇族として面白くない」と側近に漏らした(『牧野伸顕日記』)。

伏見宮博恭の孫・伏見博明90は『旧皇族の宗家・伏見宮家に生まれて』中央公論新社2022.1の中で、「おじいちゃん(博恭)は敗戦直後重要な書類や日記を焼いたと言っていた。だからおじいちゃんは戦犯にならなかったのです。」

 

日本会議を中心に設立された「皇族の伝統を守る国民の会」(会長・三好達(とおる)元最高裁長官)の設立総会2012.5で安倍晋三は「11宮家の皇籍復帰を考慮しないのはおかしい。」

昭仁の学友・明石元紹(もとつぐ)はこの会に加えられたが、三好に向かって11宮家皇籍復帰案に反対した。

 

男系男子の規則を厳格に守れば若い女性が嫁ぎたくなくなるから皇統は断絶するだろう。自民党内には医学の粋を尽くして男児を産ませるという意見もあるとのこと。

 


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