新聞を読んで 20240624 月
玉城デニー「自衛隊は要らない、抑止力でなく、外交による平和を求める、沖縄は平和の島と沖縄の本土復帰時に言ったのは日本政府ではなかったか」
2024年5月、米軍機(エマニュエル大使)が沖縄周辺の離島(与那国・石垣)に着陸。
自衛隊基地新設
駐屯地開設
2016年3月、与那国島
2019年3月、宮古島
2023年3月、石垣島
地対艦ミサイル部隊配備
2024年3月、沖縄本島
隠滅指示対象の毒兵器研究機関登戸研究所(川崎市)の幹部名簿発見(国立公文書館)とのことだが、毒物研究部門は未発見。関係者ご本人らはこれまでほとんどが沈黙。中国で人体実験。不二出版が出版予定。
具志堅隆松「平和の礎は聖域です、警察官や機動隊員はご入場をご遠慮ください」
沖縄県は横断幕を禁止した。
大矢英代さんより
6月23日は、沖縄軍トップが、本土決戦を遅らせるために「後は死ぬまで戦え」と言い残して自決した日であり、戦闘は7月2日の米軍が作戦終了する日まで続き、沖縄本島北部では少年護郷隊がゲリラ戦を強いられ、八重山諸島住民はマラリア有病地帯に押し込められ、住民同士が疑心暗鬼の中スパイだと殺し合った。三上智恵・大矢英代共同監督の映画『沖縄スパイ戦史』
そして本土では、6月23日、「義勇兵役法」が公布・即日施行され、17歳未満の子どもは少年兵として動員された。
1945年3月27日夜、大城静子(90当時11歳)ら家族9人は、沖縄県慶良間諸島渡嘉敷島の北部の日本軍陣地に逃げ込んだところ「女は強姦され、男は首をはねられる、自分らでやれ」と言われ、短剣や鍬で家族は殺し合った。大城静子は死んだふりをし、妹の喜久村清子は逃げて米軍に助けられた。
0 件のコメント:
コメントを投稿